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ちきゅう



489日目 「何かを信じるということ」


23日(土)の日の入りは17:52。
月齢15.5の満月の出は18:01。

島の西のビーチで太陽を見送ったら、今度は東のビーチに移動して月を迎える。
バンギを聞きながら、速足で歩いて3分ほど。
こんな小さな島だからできる、ハナレワザ。

満月の時期は日の入りと月の出の時刻がほど近くなる。
オレンジ色の余韻を残す西の空を背に、紺色がかった東の空を眺め月の出を待つ。

水平線のどの辺りから、どんな色の・大きさの月が出てくるんだろう・・・
何かを待つのってすごくわくわくする。

ああ、なんて贅沢なことよ・・・
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いつまでも、こんな時間が続いたらいいのに。

*     *     *     *     *

何かを信じるということ。
それは、時にそれ以外の何かを信じないということを意味する。

例えば、宗教の話。
ここは、私たちのような外国人を除けば、100%イスラム教徒の国である。

毎朝の学校の朝礼も、イスラム式のお祈りに始まり、お祈りに終わる。
授業の始めと終わりには、イスラム教の挨拶。
毎日5回のお祈りの時間には、国中にバンギが響く。
断食月には、国をあげて断食に励む・・・

生活の、そして人生の中心にあるのが宗教。
イスラム教の教えを守り、教徒として徳を積むことが、「生きる」ということなのである。

彼らともう何度宗教について話をしたのだろう・・・
今日も3回ほど勧誘された。
「今からでも遅くはない。イスラム教徒になりなさい」と。
(ウチの両親は敬虔な仏教徒なので、改宗なんて絶対に許されないということにしている。
もちろんこれは、事実無根の作り話。)

話し合いの結果は、いつだって同じ。
残念ながら、「私たちは分かり合えない」ということ。

宗教・人種・性別・年齢に関わらず、人間は通じ合えるときがある。
それは、お互いが歩み寄ろうとい気持ちがあるとき

「分かり合う」ということは、相手を「受け入れる」ということだと思う。
目の前の相手が、例え自分とはまったく異なる文化様式や思想を持っていたとしても、「こういう考えもあるんだな」と認め、受け入れられるとき。
しかもそれが双方向で成り立つとき
そんなときに通じあうことができるのだ。

お互いがお互いを「尊重」し合うということ。

だけれども。
話を元に戻すと・・・

イスラム教徒は、唯一の神を信じている。
その神が、地球をつくり、そこに人間を住まわせ、万物を創造したと。

だから、毎日のように空を仰ぎ、太陽や月や星や海に手を合わせる私のことが理解できない。
(やっぱり大自然を前にすると、つい合掌してしまう・・・)

「それ(太陽や月)は神がつくったものに過ぎない。
 そんなものに祈って何になるんだ?
 ただ神に祈りさえすればすべてが済むんだよ」

「仏像だって人間がつくったものでしょ。そんなのに祈るなんてばかげてる・・・
 日本に行ったら全部壊してやるから!」(イスラム教では偶像崇拝を禁止している)

「私たちは死んだら天国に行くんだよ。そのために毎日お祈りをして、清く正しく生きている。
 キョウコはどうなの?何もしていないじゃない。そんな人は地獄にいく羽目になるよ。
 その時になって泣いても遅いんだ。天国の扉は閉められちゃうから。」

こんな会話を、もう100回はしただろう。
彼らは天国に、そして私は地獄に行くんだと、彼らは笑顔で言い切る。

地獄には針山があり、そこを裸足で歩くのだという。
そして人々の足から流れる血がたまった池がある。
そこは絶えず火が焚かれ、暑くて暑くてたまらない場所なのだと。

不思議なことに、この「地獄」の概念は日本と同じだ。
辞書で調べてみると「地獄」は梵語(古代インドのサンスクリット語)である"naraka"を訳したものとある(日本で言う「奈落」)。

この"naraka"という言葉は、宗教の話をしていると絶対に出てくる言葉。
ディベヒ語かと思っていたけれど、サンスクリット語なのね。
なんかそうなると、ヒンドゥー教も仏教もキリスト教もイスラム教も、やっぱり結局は同じなんじゃん!と思うんだけれども。

また話がそれたので戻そう・・・

つまり、一神教を信じる彼らが、他の神の存在を認めるということは、自分の信仰を否定するということになる。
他の宗教を認めることは、自らの宗教を否定することになってしまうのである。
だから彼らは、私たちの信じるものを絶対に認めない。

私は彼らの思想を認められる。尊重できる。
それは日本に古代から伝わるアニミズム的多神教の思想が、今でも日本人の生活の中に根付いているからだろう。

大空に、大洋に、大地に、そして各宗教の神々に・・・森羅万象に神性を見出し祈りの対象とする日本人の寛容な宗教観は、世界でも珍しいものだと思う。
(宗教に限らず日本人がもつ寛容性、適応力って、本当にすばらしい)

だから。

私が彼らをどんなに分かりたくとも。
彼らには私を理解することができない。

どこまで行っても平行線なのだ。
明日もまた、同じような話をするのだろう。

「キョウコは間違っているんだ」と。
by skr201 | 2010-10-24 03:10
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