わたしがオーストラアリアにいたのは、2001年の4月からの1年間。
Working Holidyという就労できるビザを取って働いたり旅したり、それはそれは自由に生きていた毎日。
明日どこで何するか、まったく決まっていない。
エアーズロックを見に行っても、シドニーのオペラハウスを見に行っても良い、そんな毎日。
そのうちに「タスマニアはおもしろい」という話をどこかで聞いた。
では次は、タスマニアに行ってみようということに(タスマニアはオーストラリアの洲のひとつ)。
レンタカーをしてキャラバンパークに泊まりながら回ることになるので、人数が必要。
とりあえずは5人乗りの車を借りるとして、あと4人。
友だちとその友だちと一緒になり、すぐ3人が揃った。
あとは2人を探さなくちゃ。
タスマニアへの出入り口となる、メルボルンという町で待機していた時のこと。
いつもは安いバックパッカーに泊まるんだけれど、その時はcity hotelのツインルームにひとりで泊まることにした。
安宿では相部屋もよくある。
そこで一緒になったのが、かなりハジけた日本人のお姉さん。
話を聞くとタスマニアに行きたいという。
おもしろそうなので、強引に誘って仲間に引き入れた。
そして最後の1人は、私たちがタスマニアに行くメンバーを探しているという噂を聞きつけて、これまた曇天のメルボルンの町で合流。
こうしてめでたく5人揃い、タスマニアに出発することとなった。
当時まだ21歳だった最年少の二人が、計画から何もかも引っ張ってくれた。
彼らの思いがたくさん詰まったオリジナルコースを、青い車はひた走る。
私たち年上3人組は、ゆっくりのんびりついて行くのみ・・・
南極海に面しているタスマニアは、夏でもかなり涼しい気候。
森林と湖と岩山に囲まれて、オーストラリア本土とはかなり異なる表情を見せてくれた。
北海道出身の子は「北海道に似ている」、カナダ人は「カナダに似ている」と言ってたっけね。
あの頃の写真はすべてフィルムで撮っているので、ここには載せられないけれども。
ただ単に「タスマニアに行きたい」という思いだけで集まった仲間で旅をした2週間。
たくさん写真を撮ったよねえ(写真マニア3人)。
タスマニアデビルを獲ろうと、餌を仕掛けたり。
高い山に登っては、裸になったり。
魔女の宅急便のキキの部屋に乗り込んだり。
サザエを拾って、クッキングしたり。
誕生日には、手作りケーキでお祝いしてもらったり。
ルパンのカリオストロの城に裏口から侵入したり。
なぜかみんなで、緑色の美顔パックをした夜があったり。
滝も、湖も、ラベンダー畑と3段アイスも、ラピュタの木も、どれもこれも思い出がいっぱい。
あれからもう、10年。
みんなそれぞれの時間が流れ、カメラはデジタルになった。
平塚七夕祭りの日に、平塚のちょっと向こうで久々にみんなで集合。
今回は新しい仲間も加わって、6人で。
また会える日を楽しみにしています。
これからもどうぞよろしく。
ちなみに、このうちの1人は今でも向こうで夢の続きを楽しんでいる。
ケアンズの宝石店でデザイナーをやっている彼に頼めば、珍しいピンクダイヤモンドでオリジナルのジュエリーをつくってもらえる・・・ハズ。
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