今日も学校には仕事がない。
(先生たちが日本で言う「終業式」の準備をしている間、1~5年生の子守をさせられたけど。仕方ないので学年別対抗歌合戦開催。2年生の優勝!)
そんなときには、ゴミ拾いをしようっと。
こうすると、「とりあえず今日も活動してますよ」って、自分に言い訳ができる。
ゴミ拾いの必須アイテムは、バローと呼ばれる手押し車。
いつも使っていたウチのが壊れてしまったので、最近は学校のものを使わせてもらっている。
でも、学校のバローもこの前修理したばかり。
タイヤが壊れたのだけれど、修理をする予算もなく、ずい分苦労したらしい。
だから今日も借りようとすると、技術員のマレイの顔色が曇る。
この人とても良い人なので、ダメとは言わないけれど。
もし私がこれを壊してしまったら、直すのにはまた時間が掛かる。
お金だってかかる。
業務に支障が出る。
島生活の必需品だもの。
「気をつけて使いますので、貸してください。これがないとゴミ拾いはできないので・・・」
今週末に上京するので、マイバローでも買ってこようかな。
そしたら心置きなく、好きなだけゴミ拾いができるのに。
子どもたちは授業中。
先生たちは仕事中。
私はずうっとフリータイム。
なので1人で学校裏のビーチ・クリーニング。
ケヨドゥーの海は、きょうも美しい。
左見て、真ん中見て、右を見る。
こんなきれいな海に、平気でゴミを捨てる感覚が、未だによく分からない・・・
中でも不思議なのが紙オムツ。
どうして、わざわざ海に紙オムツを捨てに来るのかな。
バローはすぐにいっぱいに。
こっちに載せると、あっちから落ちる。
載せては落ち・・・を繰り返しながらゴミ捨て場へ。
戻って来てもう一度。
またすぐに満タンに!
分かりますか?手前にある白い四角いもの。紙オムツです。
今日も10個はあったかな・・・
首の後ろにジリジリと日光が照りつけて、暑い。
汗だくの黒い腕にへばりつく白い砂が、妙にきれいに見える。
あ、「星の砂」見つけた。
気分はすっきり。
だいぶキレイになったね。
* * * * *
島の人がゴミを捨てる。
私がゴミを拾う。
状況は何も変わってないように見える。
でも、私のこの姿を見たら、何か感じるはず。
「めんどくさいなあ」でも。
「アイツ何してんだ」でも。
何でも良いから。
いつもは通り過ぎてしまう当たり前の光景が、ふっと心に留まるきっかけになれば良い。
彼らの生活はスタイルは変わらないだろう。
だって今までずーっとそうして来たんだから。
その方が簡単だし、ゴミを持ち歩くのなんてかっこわるいし。
でも、小さな罪悪感でも芽生えたら、それがいつか大きくなって実をつける日が来るかもしれない。
それは10年後・100年後かもしれないし、やって来ないかもしれないけれど。
「ゴミを捨てると、島が汚くなる」
「でも自分たちの手で、きれいに保つこともできる」
そんなメッセージを伝えられたら良いかなって、思う。
そしてこのケヨドゥーの海が、いつまでも美しいと良い。